白浜の海に浮かぶ城 後編
エレベーターで2階へ上がる。もう何が出てきても驚かないと思っていたが、その考えは数秒で打ち砕かれることになる。

壁にブラジル産ブルーバイア石を使った1基1トンのエレベーター。床にはフランスの木工職人が手掛けた寄木細工。ここまで来ると、もう感覚が麻痺してくる。
「金のかかった床はだいたい寄木細工」
そんな妙な学びだけが頭に残った。

廊下には巨大な陶板画が並ぶ。
横山大観、平山郁夫、シャガール、ダリ――。
教科書や美術館で見てきた名前たちが、ホテルの廊下に普通の顔をして並んでいる。歩いているだけなのに、自分が展示物になったような気分だ。ここは宿泊施設というより、泊まれる美術館。いや、美術館の中に泊まると言ったほうが近い。

かつて旅館時代に使われていた巨大なシャンデリアや、この空間のためだけに描かれた舞妓と桜の屏風も残されていた。

さらに進むと、今度は異世界みたいな会議室が現れる。ドイツの照明デザイナーが手掛けた空間で、壁にはヘンリー・ムーアの「母と子」がずらり。同じ作家の作品をここまで集める情熱、もはや執念である。

そして、最大の衝撃が宴会場だった。ドーム状の天井いっぱいに描かれた巨大な天井画。黒を基調に赤と白が躍る大胆な世界。テーマは「愛と自由と平和」。見上げた瞬間、言葉を失った。教会のような荘厳さがあるのに、どこか夢の中みたいでもある。
窓のない閉ざされた空間。
誰もいない静寂。
不思議な反響。
なんだここ。
死後の世界?それとも夢と現実の境界線?
人生で見たことのない空間だった。

天窓には針のない時計が描かれていて、「愛は永遠」「愛は時間を超越する」という意味が込められているらしい。実際にここで結婚式を挙げる人もいるという。確かに、一生忘れられないだろう。

見学を終え、いよいよ客室へ。エレベーターホールの床も当然のように寄木細工。照明はベネチアンガラス。見上げれば金箔。もはや川久では金箔が折り紙の金色みたいな扱いである。
そして重厚な玄関扉を開けると
「ぬおおおおおーーー!!」
思わず声が出た。

目の前に広がるのは巨大なリビング。4人掛けのテーブル。10人近く座れそうなソファ。この部屋に私ひとり。完全に持て余している。無駄に部屋の端から端まで歩き、デスクに座ってみては、ソファへ移動してみる。

ベッドルームには巨大なツインベッド。その上には豪華なシャンデリア。寝転べるくらいふかふかで広い部屋の廊下。
一人で泊まるには贅沢すぎる。
枕元には謎のボタンが並んでいて、気になったト音記号マークを押してみたら有線放送が流れ始めた。急に昭和のラブホテル感が出てきて笑ってしまう。
洗面台も風呂も広々。手を伸ばせば必要なものがすべて揃う。いつもカプセルホテルやビジネスホテルを渡り歩いている身としては、もはや貴族の生活である。

そして、なくしようのない巨大なルームキー。これを手にしただけで、自分まで特別な人間になった気がしてくる。

夜と朝はビュッフェ。
料理名を読んでも3秒で忘れるので、「なんだかわからないけどおいしいもの」を片っ端から取る。全部おいしい。目の前で調理してくれるコーナーもあり、ライブ感も楽しい。そしてデザート。全部食べたい。ウシぐらい胃袋が欲しい!

最後は露天風呂へ。2016年に改装されたという空間は、曲線と間接照明が美しい現代アートのようだった。控えめに切り取られた窓から海風が入り込む。
湯に浸かる。
風が吹く。
また浸かる。
永遠に出られない。
気持ちよすぎる。
ああ、なるほど。
金にものを言わせるとは、こういうことなのか。
ホテル川久。それは宿泊施設ではなかった。
バブルが本気で見た夢の跡であり、いまもなお現実の中に残り続ける巨大な芸術作品だったのだ。
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